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偽シナ サイハ





――口に含めばわかるよ。
 それは下弦の月が覗く闇夜。ざわりと肌を撫でる風は、死者の指先のように冷たく、そして荒い。
 胸の奥の鼓動は乱れきり、喉が渇いて水面を見つめる。黒、黒、黒い水。ただ、笑う悪魔の口元のような月影だけが白々しく揺れている。
 この湖は元々近くの海と洞窟で繋がっているらしく、湛えるの塩水だ。
 ただの水ではない。海水というには何かが違う。そして、ここにはひとつ伝承がある。

――海という異界にここは繋がっているよ。


 だから口に含めば判る。海中異界、海は死者の国との伝承が世界中にあるように、死者の飲み物を口にすることは許されざる罪。
 いいや、むしろ過去の罪を顕に映す場所。死者は総てを知っている。
そして、それを呑むということは己が闇と病みを認める行為。ならばと月は笑う。悪魔のように笑う。



――口(ココロ)に含んだね?


 君は求めた。過去の罪を。
 貴方は認めた。己が病みを。
 魂に巣食う闇そのものが、貴女を動かしたのだから。
 決して、決して、それらからは逃れられないのだから。
 

――いいや、逃げようとさえ想っていないのだろう?

 
 だから黒塗りの鏡のような湖、その上に闇は形を成す。
 トラウマ、隠したい事実、人格。己が罪に、赦せぬ怨敵。心を抉る血潮の匂いに、ざわりと周囲の空気が見えざる爪先でかき回され、温度が急激に低下する。ただ、水面ばかりは静けさを保って、まるで凍て付いたかのように『そこ』にあり。

「怒り? 悲しみ? 救済に思慕と報復に悔恨? 何を騙る。何をしてもそれは君の表と裏だ。切り離すことなど不可能だよ。君の影が、君の光を増すのだから」

『そこ』にありし悪魔。三日月のように笑う、青年の姿。
「口に含んだね? ……その言葉と逃れえぬ想いをこそ」
 それは今ではない何時か。悪魔の瞳は、その奥底、過去までも見通す。






「『そこ』はかつて、海と繋がっていたからこそ、悪しきものが集う場所と言われていたそうです」
 ぽたんと本を閉じたのは六乃宮・静香。
 何時ものような明るさはなく、瞳は物静か。優しく微笑んでこそいるが、何処か危うい。
 だが誰も日常と非日常の境に言及させるつもりはないらしく、詩的な言葉を紡いでいく
「海中異界といいますしね。海岸沿いの街としては、ようするに悪霊の出る湖としてしまったほうが良かったそうです。そして、その異譚が始まったのは定かではないですが、今や都市伝説になってしまいました」
 少なくも、それだけ信じられてきた話ということだ。
 人の想いが都市伝説を紡ぐなら、どれだけの畏怖が込められているのだろう。
 長年に渡って紡がれた奇譚は最早、タタリガミに迫るだろう。ただ、それは物語としての頚木を脱することができぬまま。
「下弦の三日月が出る夜、湖水を口に含み、嚥下する――それが都市伝説の出現する条件とのこと。ただ、この海水はとても血の味に似ているらしいですから、あまりいい思いはしませんよ。その後も、ですが」
 そして物語に従い、都市伝説は湖水を呑んだものの闇を具現化させながら出現する。忘れがたいものを、決して直視したくないものを形に。
「ただ、そこに物語としての弱点がある。下手をすればダークネス並みの能力を持つ都市伝説、『塩湖の悪魔』ですが、闇を具現化すればするほど、言い換えれば湖水を口に含んだ人が多ければ多いほど、その能力のキャパシーを闇の具現に裂かれて本体は消耗する」
 勿論、敵の数が増えるのだし、連携などもしてくることを考えれば全員が飲むというのも危ういだろう。
 が、場合によっては上手くいくかもしれない。『湖水の悪魔』さえ倒せれば、全ては終わるともいえる。が。
「――闇を超えられない、夜は明けない。そういう風に物語を閉じたくはないものですね。そういう感傷こそ、私は灼滅者の矜持だと思っていますよ。闇を恐れよ、されど恐れるな、我が腕を」
 それこそ、黄昏という夜闇を前提に、祈りを捧げる静香は口にする。




マスターより


成功条件
『湖水の悪魔』の灼滅

 基本的に心情寄りの偽シナとなります。
 参加方法としては自分のトラウマや宿敵、拭いがたい過去との対面という形になります。
 湖水を口に含まない方は、逆にトラウマと対面する仲間や知り合への応援や、直接戦闘で共に戦うことによる心への支援をどうぞ。
 通常のトラウマとは違い、他の人も視認や攻撃が出きるものとなりますし、他者へも攻撃する場合があります。己が闇から生まれたトラウマやダークネス人格だとしても、『湖水の悪魔』に従う性質があります。

 ただし、再現された闇において、再現される際の特性をひとつ選択してください。

『惨劇』
 あなたにとって見るに堪えない、けれど、心に焼き付いて離れず忘れられないもの。 
 心を抉るイタミは、身体のイタミへと繋がるほどに。
 常時、解除できないトラウマを再現したものに付与し続けます。また、これの発動率は100%で解除不能。ただし、再現された自分の闇を倒すことで消えます。
 惨劇と対峙できるのは、己のみ。己が刃で、惨劇の輪廻を止めて。 


『恐怖』
 心を蝕むのは絶望の冷たさ。抗うこともできない悲劇。
 あなたが闇に感じるのは恐怖であり、常に捕縛が二つ発動した状態で戦闘を継続します。ただし、他の仲間からの応援や心を励ます行為があったターンは解除。この励ます、勇気づける、優しく接するなどは行動として数えません。
 仲間を思う台詞、癒しのサイキック……それらだけでも恐怖には抗える。



『願望』
 心の奥底に潜む願望、叶わぬと知るが故の闇への投影。
 それは恋であり、愛であり、切望せざるを得ぬ憧憬の存在。
 もしかしたら、あるいは。そう思う心がある限り、その闇は力を増す。
 これを選んだ場合、闇には壊アップ、術アップ、狙アップが三つずつ付与された状態からスタート。ただしこれらはブレイク可能です。加え、サイキックだけではなく、それを拒絶や乗り越える心情等でもブレイク扱いになる可能性があります。


『宿敵』
 これが己が闇。どうして倒したい存在。
 何故なら倒せない現実があなたを蝕み、そして闇へと至るのだから。
 倒したい強敵や、或いは自分自身を乗り越えたいという願いが闇の形となったもの。
 通常具現化される闇よりも1.2倍の能力を持ちます。


 敵能力

『湖水の悪魔』
 魔法使い・縛霊腕・鋼糸に類似したサイキックを使用。能力はフラット。
 ポジションはメディックです。単体なら灼滅者10人分という破格の能力を持つ都市伝説。


『闇』
 皆さんが想い描き、忌避したいものをどうぞ。
 能力は湖水を呑んだ人の能力とサイキック、ポジションはそのものが反映され、更に選択された『属性』がつきます。
 闇を具現化すればするほど、『湖水の悪魔』は弱体化されますが、ポジション移動など的確な戦術をとりますので一概に出せばだすほどいいとは限らず。

 また、どのような闇かはパフォにお願いします。



 

 


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六乃宮・静香 SS/3


 私は良く、一人で夕焼けの空を見る。
 赤く濡れて行く、涙のような光。昔、兄さんと一緒に見ていたそれを、今は一人で。
 ね。と呼びかける。私に何が出来るのでしょうかと。笑っている事しか出来ない、私なんかに。
 まるでそれを確認するように、瞳のような太陽が私を見ている。そんな気がした。


 
 秋風は透明だと言うけれど、どうやら今は違うらしい。
 風に吹かれて、さわりと靡く私の黒い髪。少しだけ強い風は、何処からともなく現れて、彼方へと消えていく。
 肌を撫でる感触は涼やか、だと思う。でも、ほんの少しだけ寂しかった。それが六乃宮・静香の感じた今。
 世界は橙色に染まっている。
 目の前に広がった空はとても綺麗で澄んでいた。
 手は、あの空に届くだろうか。翼を持たない身では空は飛べないし、近づく事さえ難しい。
 だとしも、もう少しだけ、触れさせていて欲しい。昔、幸せだった頃の色彩に。
 そんな感傷を誘う斜陽に照らされた、とても優しくて柔らかな場所。
 包み込む光の優しさは黄昏のもの。身も心も抱き締めてくれる。そう感じている。でも、何かが足りない。その正体を知っているからこそ、くすりと笑う。
 そして、膝の力を抜いてフェンスへと背を預けた。細い金網がぎしりと音を立て、私の体重を支える。その向こうは見ない。その下は見ない。此処は、私の知る限り、一番空に近い場所だから。
 学校の屋上。
 誰もいない、夕暮れの舞台。
 長くは持たないだろう。徐々に地平線の向こうへと沈んでいく太陽は、今日の終わりへのカウントダウン。
 砂時計が零れ落ちて行くように、さらさらと、きらきらと時は過ぎていく。
 人は終り往くものに美しさを感じるという。だとすれば、私はこの時、夕焼けの空に魅入られていた。
 鼓動が、静かに脈打つ。橙から、徐々に赤く染まっていくその色を見て、心が揺れた。
 風さえも染め上げる、強い色。錯覚ではあるけれど、それだけの何かを感じさせる。少なくとも、私の心境にはさざなみとなって、幾度となく痛みを覚えさせた。
 それは、ずっと昔の初恋の記憶。
 慕情と恋慕。安らぎと楽しさ。それと同等の、苦痛と寂しさ。
 私は、黄昏が大好きだった。
 そもそも、記憶を手繰れば、最初のそれが黄昏と、彼だった。
 私は、そもそも誰と血が繋がっているか覚えていない。けれど、あの場所は本当の家族で、血の繋がりがなくとも、魂の繋がりがあったのだと思っている。
 花が歌うように、揺れて流れて、私はそこにいた。
 煤けて傷だらけの身を、ゆったりと癒しながら。あの雪の日が、来るまでは。







 差し出された手が何を意味しているのか、幼い私には解らない。
 転んでいた、のだろうか。痛覚は不明。ただ、地面から見上げた空の赤さと、目の前まで伸ばされた指先が全てだった。
 よく覚えていない。どのような思考を持っていたかは定かではなくて、私にあるのはただ一つの感情。いや、渦。そればかりに支配されていた、幼い頃の私。
 それは、ただ一つ。言葉を失わせる程の恐怖。
「……っ…!?」
 差し出された手に、私は反射的に身を縮めた。それは私を殴る手だと、反射的に身体が急所を庇う。何も覚えていなくとも、私が転んだからと、助け起こそうとする腕など知らないから。
 私は、そういう家で生まれ育ったらしい。
 暴力の理由も、どんな家庭かも解らないし、覚えていないし、それでいいと思う。
 少なくとも、この場所に来た時には自己防衛の為、外界から心を遮断していた。言語機能も閉じており、意志の疎通もままならない。そんな私が反応したのが、緩やかな夕暮れの日差しを背にした、少年の手だった。
 びくりと震えて、縮まる私。きっと滑稽な、怖がりな子猫のように見えたのかもしれない。
 少年は、笑った。とても優しくて、緩やかな表情。
 少しだけ、寂しそうに。ちょっとだけ、何もかも閉じていた私にでも――痛みを堪えているのだと、解る顏で。
 それは人の心に染みこむ、激痛の余韻だった。この少年が余りにも痛々しい何かを抱えているのだと、この時、私は直感で知る。
 だから、続く穏やかな言葉が理解出来ない。
「大丈夫だよ。僕達は、兄妹だから。……これから、家族だから」
 大丈夫?
 兄妹で、家族?
 その意味を理解出来ず、震えている私。
 少年の後ろでは、年齢もばらばらの子供達がどうしたの、と近寄って来ていたが、少年が大丈夫と笑っている。
 私がこれ以上、怯えないように。人の気配を感じて身を竦ませていたのに気づいたのだろう。片手で制しながら、じっと私へと差し伸ばした腕は動かさない。
 無理に掴む事も、引く事もなかった。二人の間で、ふわりと、風が吹いた。
 音はなくて、何だかこの少年が、凄く優しいように思えた。それは夕焼けの色を背負っているせいかもしれないし、痛みを堪えて笑う、その表情だったのかもしれない。瞳の色が、とてもキレイだったのを覚えている。
 イタイ程に、キレイ。
 手を差し伸ばしているのは少年なのに、何故か、私がこの少年を抱き締めてあげないといけない気がしたのだ。
 それがどうしてかは、解らない。
 もしかしたら、この時、所謂共依存の関係が結ばれかけていたのかもしれない。
 でも実は、今でもそれに理由なんてきっとなかったのだと思っている。私こと、六乃宮・静香の始まりはこんな夕焼けの空の下で、転んだ少年に手を差し出されて、怯えている。
 笑顔なんてカケラも残っていない、少女だった事。きっとそれが全てだった。







 六乃宮というのは、孤児院の名前だった。
 だから、血族の名ではない。私のルーツとしては正しいのだけれど。
 基督教系の孤児院であり、身寄りのない子供や、虐待から保護される為に集められた子供が多かった。
 そういう意味では、血盟の花達だったのだろう。
 元より愛を説く宗教。傷つき、痛んだ花を愛でて癒そうと、子供達を拾った神父にシスター。唱える言葉は聖書の祈りで、馴染みがなくて、何処か理解出来ないけれど――優しい声だったのは覚えている。
 少なくとも、清らかな光と水は与えられていた。助けたいという願いと、癒したいという祈り。余りにも純粋なそれは、一般常識や一般社会からは度外れた優しさだった。
 宗教とはそういう側面を持つ。ただ、それに救われたのは、やはり私達が痛んだ、或いは一部を病んだ花だったからだろう。
 親がいないと、傷ついた茎。愛情が注がれず、枯れ落ちそうな蕾。このままでは咲く事の出来ない花びらが、私達。与えられて当然を、手に入れられなかった。
 だから、外の風にさえ負けるし、それで枯れたと思う。温室のようなこの庭園でなければ、それこそ夢や幻想のような光と暖かさのある場所でなければ、私達は人並みの感情さえ持てなかっただろう。
 痛んだ心に、優しく触れて、清い水で洗い流し、清潔な包帯を巻く。摩耗した感情に効く薬などない。その代わり、歌のような祈りが、静かに響いていた。
 それが六乃宮孤児院。
 私のルーツ。彼、後に私が兄と慕うようになった少年と共に、神父様の所へと、よくお話を聞きに行った。
 隣人を愛せ。本当に欲しいものは、自分では手に入らない。
 だから、本当にして欲しい事を、自分の好きな人にあげるんだよ。
 そう言って笑う神父様は、何時も何処かで疲れてやつれている。目だけは静かな優しさを湛えて、でも、身体の芯まで何か、焼け爛れた鉄の粉塵で削り取られたような人だった。柔らかな部分が、火傷して削られている。それを信仰心で補っている。何かが、神父様の人格を削り取っているように、私には思えて仕方がなかった。
 それでも、神父様の言葉は優しくて……兄さんと一緒に、よく聞いたものだった。
 それこそ童話をねだるようにして、二人して聖書の一節を聞く。だってそれは希望の物語で、絶望を知っている私達にさえ救いはあると説いていたのだから。
 きっと、外の世界とこの孤児院は違っている。
 みんなが笑顔だから、私も笑顔になれた花園。楽園。白薔薇の天風楽土。
 流れる日々は、季節と共に舞うように移ろっていく。確か、半年ほど。兄さんについていって、色々聞かせて貰っている内に、私は言葉を取り戻した。 
 その時、口にしたのは確か祈りだった気がする。白い雪がはらはらと、しずしずと降り注ぐ中で、私は兄さんに祈ったのだ。


「……痛い、の…?」


 それは、私がずっと抱え続けてきた疑問。
 白い雪に溶け込むように、そぅと佇む兄さんに、私はそう聞いた。
 初めにあったのは、やはり痛みを湛えた瞳だった。私が口を開いた事より、先に兄さんは痛いのだと目で告げた。我慢仕切れずに、雪の降る夜へと狩り立たせた想いを私は知らない。記憶を知らない。ただ、抱きしめてあげたいと思うような、切なく揺れる瞳があった。
 触れたいと、そう思ったのも束の間。それらはすぐに私が喋れた事への嬉しさへと変わる。
 僕は、痛くないよ。
 静香が喋って笑ってくれたら、それで良い。
 少しだけ頼りない、ふわりとした笑みと言葉で誤魔化す兄さん。
 そんな姿だから抱き締めてあけだいと思って、ふわふわとした新雪を踏みしめて歩み寄る。それこそ、覚束ない足取りで、私の方が支えられる事が必要だったかもしれない。でも、目の前で傷を負って、それを隠している兄さんは嫌だった。
 だったら、私が笑ってあげれば良いのかな?
 どうして、何処が痛いのか、私では解ってあげられない。
 血が繋がっていないせいで、過去を共有していないせいで。兄さん、兄さんと何度繰り返しても、私は妹ではないのだ。何があってこの孤児院にいるのか、六乃宮であるのか、私には解らない。
 何時か語って欲しいと思って、とことこと近寄ると、頭を撫でられる。何時の間にか積もっていた雪が、ふわりと私の髪の毛から流れた。
「……静香の髪の毛は、綺麗だね」
 瞳の奥は傷だらけ。でも、だから綺麗な兄さんは、私の髪を褒めてくれた。
 柔らかくて、男の子と云うには頼りない。それでも、美しいものや柔らかいもの、それらは私の傷と恐怖を癒してくれた。
 なら、私の髪の毛を撫でて、ほっと安心するよう笑う兄さんには、撫でられる事で心を暖められるのだろうか。じゃれつく猫みたいに。或いは、髪を綺麗と言ってくれたのだから、伸ばそうかなと、そう思っていたりもする。
 それで少しでも、兄さんの傷を癒せるなら。或いは、それは渇きだったのかもしれない。
 きっと、抱きしめるような事は出来ない。なら、夜のように広がって、寄り添って、静かに笑っていたい。
 しずしずと、音もなく流れていく夜に、私は願ったのだ。







 そうやって私は幼い子供から、少しばかり早い思春期を迎える頃となった。やはり、孤児院を出て学校にいけば少しの辛さを覚えたけれど、戻る場所が、家が、家族がいる事が私を支えていた。常とは違う生い立ちや生活環境。それに伴う迫害。それでも私の傍には誰かがいてくれる。それが幸せの証拠だったのだ。
 そして、やはり胸を占めるのは兄さんの事。他の孤児院の姉弟にからかわれ、シスターに心配される程だったけれど、私達には確かに繋がりがあったと、思う。
 血よりも濃い。
 祈りよりも純粋。
 願いよりも尊い。
 まあ、それを初恋と呼ぶのだろうけれど。
「それはそれで、別に良いではないでしょうか」
 などと呟いて。どの道、孤児院に入れる期間は限られていて、いずれ独り立ちするのだ。
 六乃宮という苗字とて、血ではなく共同体のそれなのだ。いずれ変わるか、或いは元から同じか。言い替えれば、同じ村や郷で育ったようなもので、何の問題もない。
 兄さんが好き、という言葉は、少しだけ危ういものを感じるのは確か。でも、だから何なのだろう。
「私は」
 ぱしっ、と水たまりを踏んで、溜まった雨粒を弾けさせる。
 綺麗というには程遠い、泥塗れの雫達。でも、それが私の胸の裡を表しているかのようで、少しだけ気持ちが楽になる。複雑怪奇で、美しいだけじゃない。歪つな異物の混じった、元は透明な祈り。
 それらを蹴飛ばすように、或いは振り切るように。軽快なリズムで歩を進める。靴が少しだけ汚れてしまったけれど、構わない。中学生なら、少しだけ汚れていた方がそれらしい。しっとりと街全体を濡らす雨の中、一滴の返り水も浴びない方が不自然というもの。梅雨は近い。本格的に降り出したらどうしよう。
 或いは、豪雨のように私が泣き叫べば良いのだろうか。胸の裡で恋の行方が不安で渦巻くくらいならば。ふと、そんな単語の連なりが頭の右から左へと流れて消える。
「私は」
 好きだ。兄さんの事が。でも、それをどう口にすればいいのだろう?
 どうやったら伝わるのだろう。そもそも、どうも敏すぎる私の感性は禁忌の恋の危うさというものに気付いている。今の儘では駄目で、そして何より今の想いが盲目的な、親鳥がいなかったから、変わりに拾ってくれた犬に懐いた小鳥のそれだと解ってしまっていた。それでも好き。それとは違う。そんな感情が、鎮めようとする理論とは裏腹に、胸の中でばらばらと降り注いで私の歩みを加速させる。
「私は、今が続けば良い」
 少なくともそれは問題の先送り。多少の聡明さはあっても、所詮は中学一年生。八つ当たりのように、水たまりを蹴って拗ねるのが妥当な所。
「今が続けば、何かが変わる気がする」
 そんな予感を言葉にして、橙色の傘をくるりと手の中で回した。
 空からは以前、しとしとと雨が降る中、私は学校から孤児院へと帰ろうとしている。
 実際、もうすぐそこに孤児院があった。私は割と脚が早いらしい。もしかしたら、気持ちが急いているのかもしれなかった。
 焦燥は何時だって胸に満ちている。ぐるぐると、くるくると、鼓動と共に巡っている。
 だから玄関に入る前に、割り振られた個室の窓の傍へと行く。そこは言うまでもなく、兄さんの部屋だ。
 カーテンが閉められているのは当たり前。だから、こんこん、とノックをする。それでは誰か解らないので、私だと知らせるために、一定のリズムで窓を拳で突く。
 ととん、とん、とん、とととん。
 さて、意味が分かった人はいるだろうか。多分、兄さん以外に解らない。
 そういう事にして欲しい。そうじゃなきゃ嫌だと、私は我儘に思う。首を捻って、続く音を聞いて欲しい。
 なんて意味のない事を――と。
「君は」
 そうして、少しだけ困ったような声が聞こえて、カーテンが開かれる。
 窓硝子の向こうにいるのは、諦観と傍観を混ぜたような苦笑を浮かべる、線の細い少年。その茶色の瞳は琥珀のように透き通っているのだけれど、何処かひどい傷と、飢えを見せている。時々、ぎらりと輝くのを私は知っていた。
 痛いのだと。まだ疼くのだと。涙が滲んで、ぎらりと光を零す満月のように。綺麗な、黄昏色の月の煌めき。
 とても優しくて柔らかい。でも、不思議と鋭い一面がある。
 そんな幻想を瞳に抱いた彼が、兄さん。私の、好きな人。
 だから、私の事は知っている。どうして、にこにこと雨の中、硝子窓の外で笑っているのか。
「意味もなく、窓を叩くのは止めないかな、静香。僕でないと、何が起きているのか不安に思うよ」
 そう。一定のリズムで叩くなんて嘘。その場のノリと気分で叩いていただけ。 
 だから本来は伝わる筈なんてない。モールス信号でもなければ、音楽の旋律でもないのだ。共通点なんて一つもない。まるで謎だらけというより、意味不明。
「でも、兄さんは『それ』が私って気付いてくれるんでしょう?」
 そういった現実を踏まえて、私はにこにこ笑う。
 嬉しいし、私の事を何でも知ってくれているというのは、安堵するのだ。
 いや、本当は違う。全てを知っている訳ではないし、そうだと思いたい。けれど、繋がっている何かがあって、糸みたいなものが絡まっていて、私の想いは兄さんに少しだけ伝わっていると思っている。
 糸が絡まって、鼓動が伝わる程度には。
 そんな思考を広げる私の前では、やれやれ困ったと肩を落として溜息を付く兄さん。
 物腰は柔らかく、棘などが見えない。一般的で照らし合せれば、頼りない人となるのだろうけれど、私は違うと信じている。
 それは、まあ、覇気はないし、少し活力も足りない。背は高いけれど、ひょろりとして筋肉の付きも悪いだろう。何故知っていると云われると、乙女として困るのだけれど、まあ兄と妹という事で。
 趣味は読書と音楽。部屋にある一番高いものが、古びた借り物のギター。そんな、人。
「静香、雨に濡れるから、早く上がっておいで」
 そうして、最後に一度だけ、肌や髪の毛に付着した雨粒を払うような優しい笑みを浮かべて、椅子に座る。
 手には文庫本。少し、目を細めて文字を追っている。私の事は気にしないみたいな即座の熱中。ううん、ちょっと違うのだろう。
 私は、少しその顏に見惚れていた。
 柔らかな顔立ちに、反するようなぎらりとした琥珀色の瞳。
 優しい人だ。ずっと私の手を握って色んな場所に連れていってくれて、笑って、笑わせてくれた人。
 でも、この飢えたような乾いたような色はずっと消えない。どうすれば払ってあげられるのだろう。それをしないと、私は兄さんに告白は出来ない。そんな気がしている。
 それを知らなければ、少なくとも好きな気持ちは伝わらない。
 だって、相手の一番の傷を知って、受け止めて初めて、抱きしめたと言えるのだから。
 私だけ抱き締められている状態なんて嫌だ。無理。
 痛いのは、撫でてくれた掌ごしに伝わるから。
 叫んでよと、駄々をこねるのも駄目だ。卑怯過ぎる。
 私に幸せを取り戻してくれたこの人に、私も幸せをあげたい。
 仮初ではなく、本物の。
 胸の奥を抉られた兄さんを、どうしたら救えるだろう?
 笑っていられる日々が大好きな私は、そんな事をぐるぐると考える。
 雨雲の向こう、鈍色の空の途切れ目からぼんやりと、夕焼けの橙が覗いているる




 そんな私は、やはり温室育ちの花という事なのだろう。
 月も闇も夜も知らない。
 私は『忘れている』。記憶がなくて、黄昏から始まっている。
 悲劇も傷もトラウマも、都合のいい事に全て忘れてしまっているのだ。そんな身で、どうして彼を救えると思ったのだろう?
 私が抱き締めるから。抱き締めてくれた兄さんを。
 それが幸せと信じて疑わず、それが傷を癒すと祈って脇目を見ない。
 真実、それは『彼』を見ていない。私の願いだけを見ていた証拠。『汝の欲する事を、隣人へ成せ』。ああ、正しいと思う、今でも。神父様、あなたは正しい。
 でも、私は兄さんの隣人ではなかった。
 同じ世界に住んでいないのだと、どうして気付けなかったのだろう?
 抱き締められる事が酷く怖くて、怖くて、愛される事で壊れて行く兄さんの優しさを、どうして六乃宮・静香は気付けなかったのだろうか。
 彼は飢えていた。彼は乾いていた。
 彼はそもそも、夜に咲いた花。清き光に照らされて、身を焦がされていた。透明な水を飲んでも、蓮は足りない。美しい花びらから想像出来ない汚泥から産まれた花だから。
 兄さんは、そういう人。
 愛されていた。愛されていた。母に、父に、兄に。
 そして、痛めつけられていた。
 兄さんにとって愛とは――傷そのもの。愛するから傷つけるという、狂気の影におびえていた。私がそんな事はしないとどんなに叫んでも、きっと届かない程、深い所で。
 求めていたのは平穏。欲しがっていたのは孤独。
 ぎらりと輝く瞳は、月夜の静けさを欲しがっていたのだ。
 でも、なら何でと、ふと思う。もしかしたら、と。そこまで思って頭を振う私を嫌う。ああ、私はこんな回想にでまで、『私は悪くない』と述べようとした。
 そう。素直に言ってしまおう。
 私に手を差し伸べてくれた兄さんは、その時なら、きっと助けられた筈。
 私が、与える事より、与えられる事に甘えすぎてしまったから。無条件の愛を、一方的に奪ったから。妹だから、妹だから。我儘しても良い。意味の解らないノックをしていい。だって、『解ってくれるんだもん』。
 ね、そんな六乃宮・静香。貴女は、どれだけ彼の事を知っているの。知っていたの。
 『甘える機会を全て奪った癖に。ずっと一緒に妹がいたせいで、甘えられなかった傷だらけの少年』。
 闇に堕ち、月夜の魔人となった彼。血を感染させる鬼は、確かに静香を愛していたからこそ、ダンピールにした。
 なら、静香の事を愛していた。闇の繋がりが、それを否定させない。
 だから、端的に告げよう。
 六乃宮・静香は……どれだけ、好きだった兄の事を思い出せるのか。
 ね、可笑しいでしょう。
 好きだ。愛している。救いたい。そう言いながら。


 私は兄さんの『名前』さえ忘れている。
 

 かつて、私を虐待していた家族とその記憶を忘れたように。
 愛している。救うと誓った魂の名を、ぽっかりと、忘れている。
 私に祈るべき神はいない。救ってくれと願える存在はない。だから、そう、きっと。
 いずれ万本の薔薇が、血のように舞い散る場所で。或いは、雪のように降り注ぐ中で、互いの魂を求めて、切っ先を翳す。
 触れれば断つ。交われば殺す。
 だって、求めるものはもう何もないから。
 高速で回転して、廻るその速度で壊れて行く事を、心の底から願ってしまっている。
 私は、私が嫌い。
 壊れても良い。私の中に、愛とか魂とか、そんなものはないのだろうから。
 それが一欠けらでもあれば、兄を救えたのだと、今になって後悔する。





 そうして、瞼を開けた。
 斜陽は最後の刹那に、世界を血の色に染めていた。
 吹きつける風は私を断罪するかのように強い。ぎゅっと、私は自分の身体を抱き締めた。
 鼓動、熱、それに震えを感じる。そして、此処にないものを。
 何時も、黄昏を一緒に見ていた、兄さんの眼差しと、温もりがないのだと。
 私は、終り往く光の中で、ただ一人、震えながらそこにいる。
 明日も、笑うから。
 だから、兄さん。私の笑顔を壊しに来て。
 黄昏に抱いた、十字架を胸に。
 朝も昼も夜も、笑い続けるという仮面を付けて、私はこの世界にいる。
 黄昏色の瞳の前でだけ――泣き叫ぼう。
 失った愛を、この身砕け散る程に。
 


鎖・橙




 橙に染まる夕焼けは、何時かの焼き回しにも思えた。
 優しくて、綺麗。ふんわりと流れて、焼け落ちて行く空。
 風がどうしてこんなに優しいのか、私には解らない。
 遠くで燃え盛る炎と、交差する緋閃の鮮烈さに反するような、柔らかな日差し。
 剣戟の歌は硝子の音色。崩れ果てるその刹那まで、きっと二人は赤い中で踊るのだ。
 私は、その場にはいけない。私はそこに立つに相応しくない。そう心の何処かで理解している。私は彼と彼女のような身を壊す程の切ない祈りを持てないし、こんな柔らかな日常を愛している。
 吹き荒れる炎刀の威烈。
 それを迎え撃ち、斬り裂いて飛翔する緋刃の気閃。
 物語の終わりをと用意された廃ビルの一室は、魂ごと焼き落ちろと泣き叫ぶ恋人たちの場になっていた。
 だから、私は。
「退きなさい」
 ちゃらりと、私そのものである鎖を手にした。
 武器というには頼りなく、拘束具といよりはアクセサリーと言って過言ではない、か細い鎖だ。
 夕焼けの光を受けて、鈍い銀色をつるりと光らせる。そして、その先端が動いて私の腕を絡め取っていく。まるで蛇のように。或いは、私を護る螺旋のように。
 手首を伝って指に絡まり、そして空を流れる。物理法則など無視して、重力に縛られない破魔の銀鎖――そうだね、これは、縛る為のものだから、決して何かに縛られない。
 私と彼と彼女を結んだのもこの鎖であって、過去という名の絆だから。

「いいや、退けない」

 そう言って哂う男に、私は眦を決す。
 黒い外套を靡かせる男は、うっすらと喜色をその瞳に宿している。
 だがそれは漆黒のそれだ。闇色だ。物語を集める物語。その為に、新たしい物語を産み出す紡ぎ手にして、収集家。曰く、悪魔のような男。彼の手の中にある、分厚い古書がかたかたと鳴る。じゃらじゃらと自分達を拘束する真っ黒な鎖を打ち破ろうと、蠢いていた。
「面白いだろう? 綺麗だろう? 何より切ないだろう? これは人の心をもった、神の物語。この世為らざる、君が為の物語……邪魔はさせないよ」
 くつくつと笑う姿は演出家のそれだ。
 この世にないものを求めて探して、手に入れては闇鎖にて縛して愛でる。
 この世界に絶望し、生きられなかった男の果て。愛も友情も、優しさも悲しさも、この男に心に触れる事はなかった。ただ、この世界を憎んだ全ての元凶。ああ、解る。共感さえしてしまう。こうなってしまった私の日常を壊したいと願う気持ちを、この男は世界に抱いている。
「まあ、私を水に住めなかった魚と笑って貰っても結構。ただし、私がいなければこの物語はない」
「何を言うのかしら? あなたがいなくても、世界は廻る。アナタは世界を壊す悪魔」
 睨めつける私に、でも男は闇色の笑みを崩さない。
 全ての元凶。この男が絶望したせいで、幾つもの絶望が連鎖して産まれてしまった。
「なあ――血の鎖とは、何だと思う?」
 だからこの男にこれ以上喋らせてはならないのだと私は直感する。
 しゅるりと渦巻く銀鎖。私の意志を汲んで空奔る速度は音の壁を何枚も纏めて突き破っている。文字通り、瞬きをする間もなく、男の左腕へと巻き付き、絡め取る。同時、男の左手が弾けた。
 いや、正確に言うのであれば、溶けたのだ。元々、奇跡的に墨汁が人の腕の形に固まっていたかのように、鎖の触れた所から弾け飛んで四散する。霧のように広がり、ぼたぼたと地面に堕ちる。
 これがこの男。闇そのもの。
「流石に辛辣だねぇ。私がいなければ、その想いさえ生まれなかったのに」
「……っ…!」
 いいや、断じて違う。私の想いは、私に触れた人々のお蔭だと信じている。 
 彼。彼女。友達、教師。私を育ててくれた人と繋がっているから、私は物語を止める事が出来る。この狂気と理不尽に満ちた、神話を。
「だから言おう。おめでとう。そして有難うと言ってくれないのかな。血の鎖で結ばれている私には」
 オレシジ色に染まり切った世界で、なお黒さを増す穴の如き男。
 叩きつけるのは怒号と鎖。銀と黒が、共鳴して泣き叫ぶ。
「五月蠅い!」
 血の鎖。血の絆。ああ、そうだろう。
 私とこの音は結ばれている。だが、だからこそ許せない。
 全てが始めたのはコイツのせい。こんな悲劇が作られているのはもコイツのせいで。
「君が恋をしているのも、君が愛している全ても。そもそも、君の魂は――」
 言わせない。絶対に。銀光を幾度となく走らせて、巻き付かせ、縛して霧散させる。虚空を泳ぎ、橙の光に煌めく銀鎖の数は既に十を超える。十数本の条に縛られ、形を失い、そしてすぐさま再生する男。
 いや、男ではなくて。
 私にとって、コイツは男ではなくて。
「――私の血から産まれたのに。どうして、娘は父親をそんなに嫌う?」
「……っ!?」
 そうやって滔々と、私にとって認めたくない事を、口にするのだ。
 私の父親。私とお母さんを捨てた、ロクデナシ。でも、確かにこの男がいなければ私はいない。
 この男がいなければ、私と彼と彼女は出逢わなかった。この男の血という物語を引き継がなければ、鎖で魂が繋がれてなければ、不条理を縛り上げて制する事が出来なくて。
「そもそも、アンタが始めなければ……!」
 私は産まれなくて、彼と彼女はきっと幸せで。
 巻き付く鎖など必要なかったのだ。私さえ、いなければ。
「……アンタが、いなければ……!」
 私の自己否定に繋がったとしても、それだけは叫びたい。
 日常が大好きで、その陽だまりにいたい。きっと世界は焼け落ちて行く夕日のようなもので、何時かその熱に焦がされてしまうのだろう。そして、死ぬのだろう。私はそれでいいと思っている。
 だから、だから、だから――
「心が要らないなんて、思わずに済んだのに……!」
 それはきっと絶叫。
 始めた男の娘だから、終らせる事が出来るのだと銀色の鎖を手繰る私。
 嘲笑と、憐憫を混ぜた笑みを漏らし続ける、私の父。悪魔のようだ。かつて、数百年を生きたという少女が語ったそのままに。
 そして、橙色の世界が赤く染まる。
 彼と、彼女の世界に。愛したものを殺す、神世の物語に。
「さあ――では、その要らない心で、私の作った物語を見事縛り、制してみるがいい」
 くつくつと笑う顏には、僅かな高揚と色気。
 その奥底に、ずるりと這い回る絶望の色を覗かせて。
「死ぬのが救いなこんなセカイ、消えてしまえば良いと、娘の私ならば思うのではないかな?」
 その問いに、私は応える事が出来なかった。
 


dx3・ハンドアウト



ダブルクロス3rd 触れる事が出来ない程、深く、深く、雨は降る


トレーラー


――私達は、それぞれ違う心と想いを抱いている。

それは胸の奥に、深く、深く抱いている感情の源泉。疼いて止まらない。涙のように溢れて来る。
愛するってナニ。まるで衝動に取りつかれたように、それだけを見つめる。
憎悪ってナニだろう。まるで衝動そのもになったかのように、燃え盛る炎と化す。

――私達は、他人に触れられない程、深い所で狂気を抱いている。

人とは違うのだ。
狂気と狂気は交じり合わないのだ。
きっと理解されないだろうと、狂おしい想いを抱いて、雨を降らす。


私達は皆、狂っている。正気と狂気の違いだなんて、数の多寡でしか線引きが出来ない。
違いがあるとしてたら、そう。まるで病み憑かれたかのように見えるか、それとも深くに隠しているだけか。

――でも、もしも。もしもとふと思った私は、目を醒ます。

表に湧き上った狂気の中、共に生きる事が出来ればシアワセなのだと。
一人は嫌だと、深淵の中にいた私はゆっくりと動き出す。
ああ、でも、どうしてだろう。降り続けて止まない雨は、血を洗い流して人の理性へと蝕んでいく。

止まない雨。流れ続ける川。そして、人の狂気もまた烈しく。
愛していた人は何処と叫ぶ少女、手には包丁。血濡れも許されずに、冷たい雨。
車が壊れている。中の女性は首が壊れている。何より、人の心を病む雨が、止まる事なく振り続ける。たった一つの、山の社から。


みんな、心に抱いた狂気を爆発させて、殺戮と吸血と飢餓と破壊と、そしてそれらが解放された事に、怯えている。


私が祈ったのはこんなものだろうか?
殺し合う果てに残った人が、私と共に生きてくれる事を、ただ、祈って。


止まない雨に病み狂う街は、私の伴侶を作り出す蠱毒の壺となっていた。



ハンドアウト


●PC1
ワークス/高校生
シナリオロイス:血濡れの少女 (推奨  関心/恐怖

君はこの街に通う高校生だ。
人とは違う。オーヴァードという存在ではあるが、普通に、平凡に暮らしている筈だった。
オーヴァードとなった事件のせいで失った友達はいるし、日常が変貌してもう元には戻れない。
そりでも綱渡りのように続ける日々。ジャームになる事を怖れ、だからUGNの庇護を受けている。
……そうして、日々はゆるゆると流れた。
雨の降りしきる、秋の直前。冷たい雨粒に身を貫かれながら帰宅しようとすれば、そこでは赤いモノが流れていた。
一人の少女が刃物を手に、愛を謳って血を求める。
変貌した世界は、狂気の中に埋もれて行く。




●PC2
ワークス/UGNチルドレン
シナリオロイス:ヤマナイ雨  (推奨なし

UGNに育てられたチルドレンの一人。施設での沢山の暴走の果て、処理されずに生き残った産まれながらのオーヴァード。それが君だ。
死は見て来た。ジャームは殺して来た。そして、仲間の死と暴走も。最後を見続けて来た君は、けれど最近、どうやら「途中」がある事を知る。
産まれたからには、終るまでの過程がある。その途中を人生と呼ぶらしい。今、君はその青春の中にいると知らされる。
……楽しめるのだろうか、自分が。
それを望んでいるか解らない。ただ、雨の降り切る外を、学校の教室から眺めていた。
だが、突如響いたの悲鳴。破壊の音、人の苦鳴。そして暴動の気配。
ジャーム、ではない。ワーディングの気配がないのだ。
ただ、暴れ狂う何かがいる。壊し合い、殺し合うあの戦いの空気が、流れて来た。
疑問は、教室へと入ってきた腕の折れた生徒が掻き消す。襲いかかってくるその速さ。問う暇は、ない。




●PC3
ワークス/UGN支部長
シナリオロイス/セオリツヒメ

この市、そして街一帯を預かる支部を統括するのが君だ。
支部長というが、実の所は実戦からの駆け上がりの側面が強い。政治や判断力より、現場での対応力が買われたのだ。
この地域が物騒なのではなく、この支部から他の支部へと、チルドレンやエージェントを派遣するのが君の仕事。言ってしまえば、周囲のサポートの為の人材派遣と、その管理。
だからこそ戦力としては高いメンバーが集まっていた。
セオリツヒメというコードネームを持つイリーガルもその一人。けれど、彼女はジャームとなって、何処かへと消えてしまった。
彼女に思う事は何だろう。降り続ける雨の中――大量のエージェントとチルドレンが、僅かな間に暴走し始めた。
雨音が強まっていく。騒乱もまた同様に。



●PC4
ワークス/指定なし
シナリオロイス/自由に設定して良い


この街は壊れている。
暴徒というには温いだろう。それぞれが自分の狂気を晒して暴れ回る。誰も彼もが他人を見ていない。
いや、まるで完全な個として動いている。規則や規律、天から見られているという理性を失った、まるで獣のように。
子供を護る母親がいた。けれど、腕に抱かれた子供が母親の腹部に包丁を刺している。怖がって、刺している。
一人、一人。十人以上が、壊し合い殺し合う。誰も徒党を組んでいない。ただ、目に見えているものを壊しているかのように。

成程――これがジャームばかりが産まれた状態なのだろう。

秩序も繋がりも絆も失った、己の狂気に殉じる使徒たち。

……こんなものを、UGNは許せなかった。FHは、こんなものをどうしようとしたのだろう?

たった一つのオーヴァードの暴走なら良い。でも、リザレクトで生き返りながら殺し合い、壊し続けるこの様は、まるで地獄のようだ。
止めるべきだろうか――これは余りにも美しくない。






殺し愛



――ねぇ、どうしてそんな剣を持っているのですか?



 星が瞬き始めた。
 青と藍、そして紫の布地が幾重にも折り重なるような夜空。
 もしかすると、まだ夜と言うには遠いのかもしれない。闇は薄く、ただ茫漠と大路を覆う。
 まるで霧のようだ。何もかもが曖昧で、真実を隠している。あるのは影ばかり。見えるのは輪郭だけ。中身は見えない。
 太陽が地平線の向こうに沈んだ後の世界を、少女はこう思ったのだ。
 永遠も、願うべき存在も、叶えたい未来も影に侵されてなくなったのだと。
 けれど、変わる事のない事実が目の前にある。少し前なら、目を逸らしていただろう。でも、握る刀の柄の熱さがそれを許さない。
「星の導き、宿す星などなければ良かったのに、ですね」
 そんな事を口にして、ゆるゆると横へと歩んで道を開けただろう。
 彼と、少年と、戦うなんて選択肢は存在さえしなかった。いや、ともすればその背を歩いていただろう。
 今とて、そうしたいと思うのだ。甘くて苦い、何か胸の奥で脈打つものがある。
 愛というには未熟過ぎたし、恋というには複雑過ぎた。責任と自負が少女を支え、手にした刀を鞘から滑らせる。
「――でも、血の繋がりは、あったんです」
 するりと音もなく抜かれたのは真紅の太刀。
 乱れ波紋は炎のように波打っている。細身の刀身ながら、その色合いは何処か鳥の翼を思い浮かべさせる。橙と赤と、緋と朱色。それが重なり合う、夕焼け色の刀。或いは、燃え盛る朱雀の翼。
「今も、この胸に、身に、流れる血は母と同じくするもの。だから、ええ」
 鞘を捨て、切っ先を夕闇の向こうにいる少年へと向ける。眦を決して、これから先は逸らさないと。
「道は譲らないと、言うんだね」
 冷たい、少年の声。
 自嘲混じりのものだった。喉の奥で何かに引っかかっているように擦れている。
 それは次第に、笑い声となっていく。それが、嗚咽のように聞こえるのは何故だろう。
 鬼の嘆きなのかもしれないと、少女は思った。赤き太刀を構えた向こう、蒼氷の刀を既に抜いている少年は、まぎれもない鬼の類なのだから。
 蒼い氷は何処までも冷たい色をしていた。
薄暗がりの中でもはっきりと見える、冴え冴えとした刃。そこに付着している、僅かな赤い点。凶兆の色彩であり、人に悪寒を抱かせるには十分な鬼気を宿している。
 言うまでもない。口にして問うまでもない。此処に来るまでに、既に人を斬ったのだ。
「互いに道を譲らなければどうなるかなんて、見えているのに」
「ええ、見えています。解っています。でもお互いに止まれないでしょう? 辞めてと叫びながら、剣を奮うしかない。……そして、そんな無様を私達は、相手に見せたくない」
 くすりと、静かに笑う少女。
 涙が零れた。どうしてこうなったのか、彼女自身もよくわからない。愛情と友愛。家族と友達。亡くした人と、奪おうとしている人。
 少年は強かった。追いかけて、追いかけて。何処までも追い縋ったのに、気付けば少女が転んでいる。仕方ないと、苦笑いをして待っていたあの少年。とても脚は早くて、振う刃は鋭くて、落ち零れの少女とは違う天才だった。
 そして起き上がるまでずっと待ってくれていた事も、理解している。
 だから解らない。そんな力があって、どうして裏切ったのか。
 鏖殺の氷刃。蝕の禍津星。そんな定めだと、解っている。理解している。彼は産まれた時から、殺す為にある狼だったのだ。そこに自由意志なんてない。命を宿された意味が、人殺し。
 そんな少年が此処にいる。この帝都の諸共、蝕む剣鬼が目の前にいる。かつて友で、その背を追いかけた少年が。
「これが、擦れ違った夢の狭間」
 少女は泣くように呟いて――全てを照らす火華を咲かせる。
 問答は意味がない。
 言葉では通じない。
 ならば、せめて。この刹那に魂を懸けて。

「神火招命――急々如律令」

 それは白き符の翼が羽ばたく瞬間。
 言霊の囁きに応じ、周囲に展開していた呪符が舞う。あたかも地を覆う巨大な白の翼、そして舞い散る羽根の如く踊り狂い、視界を覆い潰す。
 闇を払えと、火呪が紡がれた。
 飛翔する符を流し目で数えた少年は、より深く笑った。これが少女の本気だと、疑いを挟む余地がないと知る。
 その数、百を超えている。何枚あるのかと数える事が馬鹿らしい。
これらの一つ一つに呪術が施されているのだ。それが発動するまで、僅かな猶予もない。 


「爆ぜなさい、火祈椿」


 事実、その言葉が全てを制する。
 言葉に応じて少女の握る太刀がより鮮烈な赤色に輝いた直後、無数の紅蓮華がその場に現れた。
 世界を煌々と照らすのは、余りにも非常識な数と威力の爆炎。まるで一斉に花開くかのように白符から紡がれた赤火の花びらは轟音と共に周囲へと散り往き、全てを燃やして吹き飛ばす。
 夜が失せた。赤き夕暮れが刹那に産まれる。帝都の大路、その地形さえも変貌させる灼熱の嵐が荒れ狂う。聴覚まともに機能せず、人が目で見れば失明する光と、息を吸い込んだだけで肺が焼け崩れる熱量。
周囲にあった家屋が吹き飛び、瓦礫と廃墟が火風に巻き込まれ、ごうっと燃え上がった。
 火龍の嵐であり、神火の狂乱。天変地異と錯覚する程の規模と練度で練り上げられた、焔呪だ。
 『火祈椿』は、呪符一枚、一枚に小規模な爆炎を産み出させるのが本来の呪法。だが、それを百以上、同時展開させて最大の威力で炸裂させている。莫大な呪力と制御力が必要となるが、通常の呪術系統の属する為に星辰の位置や吉兆の場所を問わずに使用出来る。
問題なのは――大呪術を展開する以上の呪力と才能が不可欠であるという事。言ってしまえば、人の規格に外れた少女の呪術は、火神の息吹と化しているのだ。
故に残るのは灼熱と紅蓮の廃墟。
「――けれど、そんな筈はないですね」
 乱れる炎を瞳に映し、けれど旋回する少女。刀身と同じ真紅の髪が靡いて、剣戟と共に散る。
 手に走る衝撃は、むしろ軽いとすら感じた。なのに少女は弾かれて態勢が崩れている。何が起きたのか理解するより早く、懐より取り出して再度紡ぐ爆裂の焔華。
 見えない。瞳に映らない。だが、閃いた何かが焔を斬り裂き、周囲を駆ける。
 感じるのは白刃の冷たさ。周囲一体、空間ごと炎に包んだ筈なのに、それでも氷刃は奔る。
 一、五、十と、剣戟の奏でる澄んだ音が響き渡る。周囲を薙ぎ払う火炎呪は無粋と、何処までも鋭利な剣閃が繰り出され、氷を砕くような清冽な音を立てた。
 少女は呪術師だ。剣も扱う。だが、少年は生粋の剣士。
 弾幕を張るように爆炎呪を連続で紡ぐからこそ斬り殺されていないのだ。近距離へと間合いを詰められ、斬撃の領域に納められれば少女は対応出来ない。事実、初太刀を受けこそ出来ても、身は弾かれている。
 いや、ならば太刀の間合いに踏み込まれている筈だ。そもそも見えないのなら、どうして一撃目を受けられたのか。
「私って、本当に……」
 瞳には何も見えない。 
 追いかけて、追いかけていた少年の姿を捉える事は、未だ出来ない。
 彼を追ってようやく此処まで来た。幾百の呪術同時展開?
 少年はそんなものに頼らず、鬼神を斬り殺す剣士――こんなもので止まる筈がない。
「止まらないで、死なないでと、願ってしまうなんて」
 そう。この程度で死なないで。この炎で殺すなんて温すぎる。私の想いは、こんなものではない。
 貴方の祈りとてそう。こんなキレイなんだから――

 刃が胸を、喉を、額を狙って繰り出される。
何故、解るのだろう。見えないのに。彼は凄いのに。
 瞬く裡に流れる氷の箒星。命を奪う美麗なる剣舞。

――私では追いつけない、キレイなヤイバ。
 そして、それを見ていたと、希ったこの瞳。現実は見えない。事実も解らない。ただ、解るのだ。夢幻を垣間見るように、繰り出される光景を知る。
ああ、星の導きなど要らないと、宿命も宿星も嫌った筈なのに、それに今、命と思いを繋げられている。

「炯眼――先見の瞳」

 囁くような、少年の、声。
 導かれるように切先が動いた。刃が焔を纏い、熱風を巻き起こしながらただ一つを求め、突き進む。
 周囲には陽炎。全てがぼやけている。他は要らない。見えないと、場所も物も時も揺らがせ、少女はその瞬間へと刃を滑らせた。
 真紅の刺突。交差する、蒼の刃。ちりっ、と僅かに触れ合い、擦れていった互いの切っ先が喉の皮一枚を斬り裂いた。
 翻る刃は、そのまま互いの首筋を撫で斬る為に。指先で優しく触れるような力で、二人は死ぬ。そして、それ以上の力を込めて、抱きしめるように手首を返して腕を薙ぐ。
 何故、そこまで捨身だったのか解らない。
 死にたかったのかも、しれないとぼんやりと少女は思った。
 殺さないといけない。殺さないと、もっと殺される。そんな定めを彼に背負わせたくない。
 だから、相打ちの運命を探したのかもしれない。でも、やはり少年は強かった。交差した赤刀と氷刀の鍔競りとなって、肉を浅く裂いただけで二人の動きが止まる。
 片方が同時に、同じ事を狙ったからこうなった。片方が違う事をしていれば、恐らくは相打ちになっていただろう。
 それほどに触れ合った一瞬。
 互いの選択が、互いを殺さない。求めて、けれど叶わない。
 酷い皮肉だった。考えている事が同じだから、何も叶わない。同じ方向を向いているから、一緒には歩けない。
「……押し切って、下さいよ」
 ぽつり漏らしたのは、憧れと悲しみ混じりの声。
「私、弱いでしょう……貴方は、強かったんです……!」
 かたかたと、緋色の刀身が震える。

「貴方は強かった。ずっと、ずっと、追っていた……! アナタの背中を追い求めて、追い求めて、どんな地獄にだって突き進んだ!」


 激烈と化す少女の声。
 それは祈りで懇願。少年の背を追い求めて、指先で触れたくて、色々亡くしてきた少女の祝詞。
「お母さんだって、死んだ」
「…………」
「私が、貴方の為に見殺しにした!」
「……だから、形見の刀で殺す?」
 違う。
 見殺しにした事を悔いていない。母と少年。天秤にかけた時、躊躇さえしなかった。
 全ては貴方に触れたかったから。
 だからこそ。


「形見だからではありませんよ」


 真紅の刀身の震えは、刃鳴りと化す。
 そんなものではない。帝都に背負う諸共はある。
「……私が背負うのは、この帝都の陰陽寮。でも、だから私がアナタを殺す訳じゃない」
「……だったら」
 少年の瞳が底冷えする。氷の刀身はより怜悧に。刃鳴りを起こす真紅を鎮めるよう、静謐に。
「退けよ――何時も何時も、脚を引くな」
「邪魔させて貰います。貴方にこれ以上、人殺しはさせません」
「だから殺す?」
「ええ――もう、それしか、貴方に触れる事は出来ないから」
 瞬間、刃が哭いた。
 それは少年と少女、己が主の殺意に応じた鬼神の咆哮。
 鏖殺の空へと染め上げろと翼を広げる狂鳥の焔が噴き上がり、地を這うもの皆凍て付けと飢狼が牙を剥く。そこに理由なんて要らない。感情も動機も不要。ただ、殺意に応じて狂喜するのだ。
 己が天敵。そこにいたかと、二柱の鬼神が殺意に笑う。主に逆らえないからこそ、主達が己を奮い、殺し合う今を謳う。
 結果として現れるのは地獄。無数の火柱と氷の茨。


「ねぇ、ねぇ、ねぇ――私は、貴方に触れる為に、止める為に、どうなったのでしょうね」


 紅蓮の炎を衣の如く身に纏い、けれど皮膚に火傷の一つもない少女。
 紛れもない火神の化身。人ではなくなっている。剣鬼に対抗する為、母の形見の剣に宿した鬼に触れて――

「馬鹿、が……」


 故に少年は自分を許せない。
 この少女を殺さなければ、いずれ自分と同じになる。
 肉も骨も血も残らず鬼のそれとなり、心さえ不透明に。感情も思考も混濁して、何も解らなくなる。
 今の自分はまだ良い。少年は適性がある。
 だが、弱い少女が鬼に侵されていく速度はそんなものではない。
 一晩、持たないだろうから。



「何で俺が殺す、殺すと言っているのか、知ろうともせず……!」



 いや、きっと互いにそこは理解出来ないのだ。
 本質が違う。魅入られたのが内か外かで違う。何も知らぬ儘、少女には目覚めた時には全て終わっていて欲しかった。
 けれど、少女はずっと背を追って来た。
 もう、後戻りのできない場所まで。
「愛しているから」
 少女は呟き、剣閃を走らせる。
 緋色の残光。既に神速の域にあり。万人居ても到達できない領域に、少女は鬼に身を委ねて踏み込んだ。
 ならば迎え撃つ蒼氷は同等かといえばそうではない。人の技と、鬼の浸食。その二人をギリギリの領域で織りあわせている。
 理性があり、感情があり、そして人の技を手繰るのは剣鬼に堕ちた少年。
 でも、それより悪質で、何より狂気に魅入られているのは少女だった。
「好きですよ」
 緋色の剣閃は止まらない。
かつて背後から見た少年の太刀筋を真似て、踊り狂う烈火の威。
夢に見た。共に剣を奮い、肩を並べる事を。でも、これは向かう切先が違うから。
「好きだからから――落したくない」
 堕ちた少女が呟く。瞳は夢見るように微睡んで、口調は甘い色を帯びていた。
 吹き付ける殺意がなければ、まるで恋人に語らうかのようで――そして、そんな言葉を言う勇気のない少女だったと知っている。
 もう理性が壊れかけているのだと、解るから。
「好きなら、その想いだけは、手放すな」
 応じる武威に冷徹さを。残酷さを。この少女のシアワセだけは壊したくないと、剣鬼に成っても願った祈りを手放す。変わりに、たった一つだけ願う事は可笑しなもの。
「――その想いだけは、その刀の鬼には穢させない」
 此処まで自分が生きて来れたのはその笑みのお蔭だと、火を纏う少女に微笑んで。
 結局殺すしかない道へと一歩踏み入れた。
 この少女を殺せば、自分がゆるゆると鬼になる。
 この少女に殺されれば、この少女が帝都を燃やし尽くす災厄になる。
 どちらも、どうしようもない絶望の物語。
 剣戟の歌が、愛とまで織り合わなかった夢の残滓を歌う。



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